この記事の内容
看取りのやりがい
ともすれば本人にとっても家族にとっても人生で最悪となるような大切な人との死別体験を、できるだけ穏やかに迎え、心のツラさを少しでも軽くする。
それができるのが最後に関わる医療職であり、それがやりがいでもあります。
それまでの関係性があるから悲しめるのです。
「死」は確かに悲しいけれど、別れを悲しめる関係性が築けたという「幸せ」が隠されています。
人生で、一番ツラくて、一番人の力を必要として、一番輝く最期…
そのかけがえのない時間に携われる看護師は、尊い職業だと思っています。
本人や家族にとってかけがえのない時間を、より豊かやより幸せにすることはできないかもしれないけど、より不幸にしないようにはできると思っています。
これが最後だから、ぬくもりを感じてもらう工夫をすること
心臓が止まってしまったあと、ぬくもりを感じられるのはわずかな時間です。
そのわずかな時間も大切にしてほしいです。
人間の悩みのほとんどは、過去への後悔か、未来への不安です。
でも大事なものは“今、ここ”に揃っています。
五感で感じられるものも、“今、ここ”にあるものだけです。
ぬくもりを感じることで、“今、ここ”に目を向けることができ、したいことが自ずとわかります。
泣きたければ泣けばいいし、話しかけたければ話しかければいい。
誰かに言われたからとかではなく、自分が今したいと思ったことをすればいいと思っています。
ただ、きっかけはいるかもしれません。
ベッド脇にちょっとした工夫
そこで私はベッドの柵を足側にし(あるいは外し)、そばに椅子を置いています。
あのベッド柵が心の垣根になって、なかなか患者さんに触れてくれない家族もいるし、距離感がわからない家族もいます。
でも、ベッドのそばに椅子を置けば、たいていの家族は自然とその椅子に座って、患者さんに触れてくれます。
物には、このように指示が含まれています。
ドアひとつにも意味がある
例えば、ドアノブがなく何もついていない板だけの扉はその平らな場所を押せば扉が開くということを示していますし、引き手のついた引き出しは引けばいいことを示しています。
「扉を押してください」とは書かれていないし、「引き出しを引いてください」とは書かれていないけれども、私たちはあの形(デザイン)のおかげで使い方を発見できるのです。
物のデザインで人の動きをデザインすることを、デザインを考える上で基礎となる理論「アフォーダンス」といいます。
物理的、精神的距離を縮める
椅子を置いておけば、自然に近づいてそこに座ってくれます。
患者さんとの距離を隔てる柵を外しておけば、物理的距離、精神的距離が縮まります。
でも、それまでの関係性や死への恐怖感から、触りたくないという人もいます。
無理強いをする必要はないです。
ある女性の患者さんが、そろそろ息が続かなくなりそうと思って家族を呼びました。
でも、息子さんが来る前に、患者さんは息が止まってしまいました。
駆けつけてきた息子さんは、大声で怒鳴りました。
ベッドの柵を外し、そばに椅子を置いていたので、息子さんは怒鳴りながらも
椅子に座って、患者さんの手に触れました。するとしばらく黙ってしまったのです。
息子さんはぬくもりを感じ、“今、ここ”を感じ、沈黙している間にいろんなことを考えたのでしょう。
しばらく沈黙したあとに「かあちゃん、あったかい」と穏やかに語り出しました。
「かあちゃん、がんばったよな。こんなに安らかな顔して… 今までありがとね」
息子さんは、とても穏やかな表情になりました。「さっきは怒鳴って悪かったね」とそのあと謝ってもくれました。
沈黙している間に、きっと納得はできなかったとしても、自分なりの落とし所を見つけていたのではないでしょうか。
もちろん、家族が来る頃にはすでに冷たくなっていることもありますが、その冷たさも含め、ぬくもりを感じてほしいと思っています。
穏やかに過ごせるようにものを配置し空間をデザインすること、そういうアフォダンスを設計することも看護の一環です。
看取りの時の死亡確認は、みんな揃ってからでいい
もちろん突然の死や、予想外の死に対しては、早々に医師からの説明が必要になりますが、すでに予期していた死に対しては急ぐ必要はありません。
納得はできなくても、亡くなったことをみんなが理解してから医師が確認することで、家族の受け入れ度が変わってきます。
私が尊敬する緩和ケア医の大津秀一先生が、「僕は空気が変わったら死亡確認をする」と著書『大切な人を看取る作法』の中で書かれています。
「空気がかわったら」とはどういうことかというと、大切な人が亡くなれば、悲しみのあまり取り乱す家族も中にはいます。「かあさん、死なないで!頑張って!!!!!」と。
しかし、このようなことは3時間も4時間も続きません。
どこかで「かあさん、がんばったよね。今までありがとね」そんな風に声がけが変わる時が訪れます。
そうすると、肩の力が抜け、まさに張り詰めていた空気がかわる、そんなときが訪れるのです。
大津先生はその時が訪れてから死亡確認すると述べているのです。とても共感します。
私も、向かっている家族がいたら、全員揃ってから、お別れをしてもらってから医師に死亡確認してもらうようにしています。
だれかが死に目に会えなかったと疎外感を感じたりしないためにも、向かっている人がいたらその人を待ち、しっかりお別れしてもらってからの死亡確認でいいのです。
まとめ
- 看取りのやりがいは、人生のかけがえのない時期をより不幸にすることを食い止めることができること
- ぬくもりを感じることは悲嘆ケアにつながる
- かけがえのない時間を穏やかに過ごしてもらうために考え続けること
これから看取りに関わる看護師さんへ
死なないことを目標にすると必ず失敗します。
人は必ず死ぬからです。
でも穏やかな最期を目標にすると、悲しみの中にも癒しや「幸せ」に気づくことができます。
悲しみの涙の奥には、別れをそれほど悲しめる関係性が築けた幸せが隠されているからです。
看取りは怖くない。
だから目を背けたりせず、かけがえのない時間を穏やかに過ごせるように考え続けていきましょう。
後閑愛実(ごかん・めぐみ) |
正看護師。BLS及びACLSインストラクター。看取りコミュニケーター 2002年群馬パース看護短期大学卒業、2003年より看護師として病院勤務を開始する。
以来1000人以上の患者と関わり、看取ってきた患者から学んだことを生かして「最期まで笑顔で生ききる生き方をサポートしたい」と2013年より看取りコミュニケーション講師として研修や講演活動を開始。 現在は病院に非常勤の看護師として勤務しながら、研修、講演、執筆などを行っている。雑誌「月刊ナーシング」で連載中『まんがでわかるはじめての看取りケア』の原作執筆を担当。 著書に『後悔しない死の迎え方』(ダイヤモンド社)がある。 |
イラスト:なかもと ゆき |
多摩美術大学卒業後、フリーの作家・デザイナー・イラストレーターとして活動。デザインフェスタはじめ様々な展示に多数出店。
2018年「月刊ナーシング」で『まんがでわかるはじめての看取りケア』の連載を開始。イラストを担当。『後悔しない死の迎え方(後閑愛実著)』では、挿絵を担当。 現在YouTubeで「ゆき味アートチャンネル」を開設、ものつくりの楽しさを発信している。 チャンネルURL:https://www.youtube.com/ |